あぶちゃん日記

アクセスカウンタ

zoom RSS あぶちゃん日記増刊号 U

<<   作成日時 : 2014/08/12 16:53   >>

驚いた ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

 あの日の夜は寒かった。
一日中雪掻きをして体が冷え切っていたから、近所の24時間営業している日帰り温泉に行ったのさ。
 午後の10時過ぎ…脱衣場には誰も居なかった。
外はシンシンと雪が降っていて、肩をすぼめて浴室に入ると、モウモウと湯気が立ち込めていた。
 温まろう…風呂桶を床に置くとカッコ〜ンと浴室に鳴り響き、思わず心地いいなぁ〜と独り言を口走る。
腰掛に座って、低い位置にセットしたシャワーの温度調節をしてから蛇口を捻ったのだけれど…この蛇口は故障していて、温度調節が効かない代物だった。
物凄い勢いで湯気と共に出てきたのは熱湯だった。
後ずさりして逃げようとしたが、安物の腰掛がタイルの継ぎ目に引っかかって逃げられなかった。
熱湯はおいらの一番大切なチンチン目がけて一斉放射だ。
ようやくその場から逃げ出し、急いで水を掛けるのだけれど、只でさえ冷え切っている身体に水を掛けるから全身に痙攣が起こるくらい寒くて、堪らず浴槽にドッボ〜ン。
 火傷をしているからヒリヒリ、ピリピリ…痛いの、なんのって…とてもじゃないが風呂になんか浸っていられなかった。
それで又水を掛けるって事の繰り返し…おいらは水掛け不動じゃねぇぞ!
 哀れチンチンは…真っ赤な辛子明太子のようになってしまった。
それから数日の間、歩くのにも難渋しちゃって…以来シャワー恐怖症になっちまったって訳。
でも…あの寒い夜のK氏はおいらよりもっと気の毒だった。
したたか呑んでさぁ帰ろうと席を立った時、足がもつれて後向きに池の中へ倒れ込んでしまった。
池を二分するように柵がしてあり、柵の向こう側に頭が…こちら側には下半身が出ていた。
 助けなきゃ!と酔客たちはK氏の足を持って引き揚げようとしたが、柵に頭が引っ掛って早速には救出できなかった。
やっとの思いで救出されたK氏は溺死寸前だった。
九死に一生を得たK氏は、工事用のシートに包まれてタクシーで帰ったが、それからが大変だった。
 深夜のK氏宅は寝静まっていたと言う。
ずぶ濡れの衣服を脱ぎ捨てて、冷え切った身体を浴槽の湯加減も見ずにドッボ〜ン…熱湯だった。
下半身を大火傷したK氏の松葉杖姿を見たのは、それから暫く経ってからの事だった。
寒中の寒空に、水攻めの刑と釜茹での刑に処せられたK氏は、本当に気の毒な目に遭ったと思っている。

先日ある事に区切りが付いた。
25年もかかってようやく区切りが着いたと実感した時、あと数歩で山頂に達する時と同じように、突然時間が止まり、今までの事が走馬灯のようにグルグル回り始め、やがてその感動が飽和状態になって爆発しそうになった。
そして最後の一歩を頂点に於いた時、今までの苦痛から解放されて心は鎮まった。そして自分の頑張りに感動し、今の自分の幸せを実感する。
 頑張りどころは何時も八合目だった。
八合目からの行動は、肉体的にも精神的にも苦痛の連続で、すべての物を投げ出したくなる所だ。
 投げ出せば終わる筈なのに、何故か苦しい道を選んで来た…と言うよりも、逃げたくても逃げ出せなかったのかも知れない。
でも…逃げ出さなくて良かった。
 逃げ出さなかったから素晴らしい感動にも巡り会えたし、今生きている幸せを実感する事が出来た。
八合目からの人生…そして山登り、苦しいが味わいのある道程だ。
 そんな事を実感している最中…バスに乗ったら、目の前に「人生八合目からが面白い」と言う講演会案内のポスターが貼ってあり、今の自分の心境にあまりにもピッタリだったので、思わずポスターの前に釘付けになってしまった。
 講師は田部井淳子さんだった。
今から45〜6年前、戸隠連峰に於いて「全国女子登山者講習会」が開催され、全国から120名ほどの受講生が集まった。
 その中に田部井淳子さんが生徒として参加していて、おいらが講師を勤めた事があったが、今度はおいらが受講生として拝聴してみたいと思っている。

 夜の八時、水の中に入ると気持ちがいい。久し振りの川遊びだ。
月も雲に隠れて魚捕りには絶好の条件になった。
雨合羽を着込み、水中ライトで水の中を照らすと、石の下から餌を求めて出てきた鰍たちの姿があちらこちらに見える。
 カジカ君こんばんわ!…と言いつつ、掬い網でチョチョイのチョイと掬い上げて一丁上がり!
一匹、二匹、三匹、四匹…10匹、20匹…ウ〜ン、何匹捕れたか分からなくなっちゃった。
 灯りを消して堤防に背もたれして休んでいると、突然雨が降って来た。
チョットやソットの振り方じゃない。
コリャ引き上げるっきゃないな…と思ったら違った。
堤防は遊歩道になっていて、散歩に来た人が、おいらが川の中にいる事に気が付かずに放尿しているのだった。
 幸いにして雨合羽を着ていたから良かったものの…お釈迦様になったおいらは、甘茶ならぬ小便を頭からかけられるまま、その場にじっとしていなければならなかった。
 9時30分になった。収穫は1Kgほど、さぁ帰ろう。
生け捕りだから半分は池で飼う事にして、残りは…ウッシッシッシ!ご馳走になるのさ。
今夜の晩酌のつまみは鰍の塩焼きだ。

 あの時は実に愉快だった。
穂高の屏風岩を明日登るために、JINおじさんと偵察に出掛けたのは良かったが…谷底から眺める屏風岩は威風堂々として、何時見ても良い眺めだった。
二人は登山道の脇に腰を下ろして、入念に明日登るルートを偵察していたその時、突然JINおじさんがウッ!と言って食べていたパンを吐き出した。
 口の中が焼けるように痛いと言う…おいらにはピンッと来るものがあった。
食べていたパンは干しブドウの入った葡萄パンだった。
 首が痛くなるほど高い所を眺めている時、手に持っていたパンの葡萄にクロスズメバチが止まっていたらしい。
そんな事とは知らないJINおじさんは、生きたクロスズメバチ付葡萄パンをパクリッとやったものだから、クロスズメバチもびっくりして無我夢中でJINおじさんの舌を必死になって刺したようだ。
 吐き出されてグジュグジュになったパンを広げて見たら…気の毒な事にクロスズメバチは噛み潰されてすでに危篤状態だった。
あんぐりと開けたJINおじさんの舌の奥に、クロスズメバチの針が刺さっている。JINおじさんは口の中に指を入れようとするが手がでかくてどうやっても入らない。
小枝の先でゴシゴシ…JINおじさん…ウェッウエッ!何とか針は取れた。
 JINおじさん ――― おい。口の中が腫れて呼吸が出来るのかなぁ?
 おいら    ――― 口で呼吸が出来なくたって鼻があるじゃん
 JINおじさん ――― 飯が食えなくなるじゃねぇか、嗚呼痛ぇ〜
 おいら    ――― 小便で嗽をしたら?俺の小便をかけてやろうか?
 JINおじさん ――― バカヤロウ!…でも…嗽をした方が良いかな?
 おいら    ――― 唾液が消毒してくれるから腫れないと思うよ

結局JINおじさんは自分の小便で嗽をしたのだけれど…その味はかなり不味かったらしい。
幸いにして痛みは残らず、口の中は何の異常も無かったが、小便は百害あって一利なし…蜂の毒には何の効果も無い事をあとで医師から教わった。

 数日前、おいらの左足のふくらはぎにダニが喰い付いていた。
今までにも何度かこんな事があったから、別に驚きもしないし丁度いい機会だから暫くの間観察しようと、カメラで撮影した。
 ダニのヤロウはふくらはぎにしっかりと頭を喰い込ませて、おいらのなけなしの尊い血を吸っている。
考えてみたら、近いうちに山に登らなきゃならなかったので、ダニには気の毒だったけど退治する事にした。
 強引に引き抜くと胴体が千切れるだけで、頭の部分は皮膚の中に残って、胴体は又再生するらしい。
おいらの知り合いは、何と…半年もの間生き血を吸われ続け、吸いくたびれたダニが離れた時には、小指大に成長していたそうな。
 昔の年寄りからの言い伝えによると、煙管に溜まったタバコのヤニが特効薬だと言われている。
好都合な事においらはパイプタバコを吸っているから早速実験に取り掛かった。
爪楊枝で取ったパイプのヤニをダニの喰い付いている首根っこに塗り付けて待つ事およそ10分…ピンセットで引っ張ってみるとスポッ!
 なんと…ダニは簡単に取れてしまった。
取れた傷痕には直径コンマ5mmくらいの穴が開いていた。
ダニはお陀仏になったらしく、身動きひとつしなかった。

 何時もの事だが…腹が空いた…朝から何も喰っていなかった。
独りきりだからつい面倒臭くて…でも飯を炊こう。
釜は…釜は…五升炊きと二升炊きのガス釜はあるけど、二合炊きが無い。
厚手の無水鍋があるからこれで飯を炊こう。
 米を洗って、水加減は人差し指のひと関節分で良しっと。一時間ふやかす間におかずの調達に行こう。冷蔵庫の中に卵が二個、豆腐が一丁と納豆しか入っていないから、チョコっと足を延ばしてセリとノビルとナバナを採って来た。
 セリはお浸しで…ナバナは辛子醤油で…ノビルは…刻んで醤油漬け…これで好。動物性蛋白質は無いけど、卵と豆腐があるからこれも好。
 火に鍋を掛けて待つ事およそ5分…鍋から蒸気が吹き始める…3分経ったら弱火にして更に12分経過したら火を止めて蒸し時間が10分ほど。
 この蒸し時間を無駄にしてはいけないから芋焼酎をキュッ!…つまみはノビルの醤油漬けだ。空き腹に芋焼酎が沁み渡って来た。
ノビルをモグモグ…ウ〜ン旨い、アッ!と言う間に一杯目が終わっちまった。
 納豆に刻みノビルを混ぜて…アレッ!二杯目がもう終わっちまった。
ナバナの辛子和えで三杯目…旨い。
湯豆腐も食べ頃になった、トッピングは勿論ノビルの醤油漬け…又また旨い。
 四杯も呑んじゃったから飯にしよう。

 あの時は本当にびっくりした。
山の中から必死の形相をしたおばさんが、顎を突き出し…息も絶え絶えに林道に跳びだし…再び藪の中に跳び込んで行った。
その直後…鎌を振りかざし、棒切れを持った男が大声を挙げながらおばさんの背後を物凄い形相で追いかけて行った。只事ではない!殺人事件が今勃発しようとしている。
 即座に110番通報だ!
パトカーがすぐに駆け付けて付近の捜索が始まった。
静まりかえった藪の中から絶叫が、嗚呼!…オオ〜ッ!
遅かったか!…最悪の事態になってしまった。
 腰の拳銃に手を掛けながらお巡りさんたちが駆け付けてみると…???
ニコニコ顔のおばさんとおじさんが藪の中に座っていた。
ふたりはクロスズメバチ捕りの夫婦だった。
 クロスズメバチ捕りは、目印を付けた餌を持った蜂を追うのだが…目印を見失わないように脇目も振らず…なんだ坂、こんな坂…藪の中であろうが川の中であろうがお構いなしに追い続ける。
 まず…トウチャンが餌付けに成功した…蜂が飛び立つ…行ったぞ〜!
あらかじめ飛行ルートに待機していたカァチャンが…来たっ。キタ、キタッ!
カァチャンは目を血走らせて蜂を追いかける…見失ってはいけないから必死の形相で追いかける。
蜂の巣を見つけた時に掘り出すための、鎌と棒を持ってカァチャンを追いかけるトウチャンの目も血走っている。
 収穫した蜂の巣はあまりにも立派な物で、思わず感嘆の声を発した時お巡りさんたちが…マッ!お巡りさんたちには気の毒だったが、めでたしメデタシ。

 いやぁ〜疲れた! 何で疲れたかって言うと…
某大学で、熊の研究をしている学生さん達と、熊に襲われた事のある猟師さんと、熊を徹底的に追跡しながら警鐘を訴えているカメラマン、更に熊の被害に遭っている養魚場の人たち6人がおいらの店に集まって、討論会のような…座談会のような話し合いが始まってね。
 その話し合いを聞いていたんだけど…研究者の立場から見た考え方と、現場で何時も接触している立場の人の考え方は、線路のように平行線だったね。
絶滅の危機にあると言う持論の研究者から指導を受けている学生さん達は、まったく今までと違った意見に戸惑いながらも、興味深く聞き入っていたよ。
 熊は間違いなく増え続けていて、その行動範囲も広がっているらしい。
3千メートルの高山にも出没して、閉鎖中の山小屋の食糧が荒らされたと思えば、高速道路脇にも居て、かなり広範囲に出没しているからね。
 おいらの近くの旅館の玄関先にも、一日に二回も出てきたよ。
人里に現れる熊は力の弱いもので、山から追い出された熊かも知れないのだって。果樹園の廃果の投棄や野菜屑の投棄、養魚場の魚の投棄などが野生動物たちの餌付けになり、人間たちが野生動物を人里に呼び寄せているのだって。
 興味深く聞いていたけど、それにしてもこの連中の食欲は熊以上に凄かった。激論を交わしながらも、食べる事食べること!とても人間の胃袋じゃなかった。
 正午から始まった座談会兼食事会がお開きになったのは午後7時だった。
その間、おいらは何もする事が無く…厨房の中で案山子のように立ったままだったから、足腰が痛くなっちまったよ。

 1963年2月、あの時の四人はあわや死ぬところだった。
吹雪の中をやっとの思いで到着した二階建ての山小屋の天狗荘は完全に雪に埋もれ、風下側の壁が辛うじて1メートルほど出ていた。
鍵は持っているがこれでは小屋の中に入る事は出来なかった。
 二階の非常口を掘り出す事1時間余…戸をぶち抜いてようやく冷凍庫のような小屋の中に入れた時は深夜だった。
三台の大型灯油バーナーを全開にすると、まもなく部屋は暖かくなってきた。
 倉庫から出してきた缶ビールは、開栓するとたちまち凍ってしまい、バーナーで解かしながら飲む味は複雑な味だ。
そうこうしている内に頭が朦朧としてきた。
 今日の行動の疲れにしてはちょっと違うような…そのうちに目が痛くなり、喉の奥と鼻の奥がツ〜ンとするような…過去にもこんな体験があった。
一酸化炭素中毒の前触れだ!
 先輩たちにその事を告げると…それは疲れているせいだから、早く寝てしまえと言われ…立ち上がって数歩進んでから、その後の意識は消えてしまった。
朝になって気が付くと先輩たちが横に寝ていたが、誰も身動きが出来ない状態だった。
 昨夜のあの時…おいらは棒が倒れるように突っ伏したらしい。
先輩たちはガスの充満していない部屋においらを担ぎ込んだと言う。
先輩たちはおいらを寝かせると、元の場所に戻り10分ほどしてバーナーの火を消したと言う。
 この10分間の差が大きな症状となって表れた。
おいらの症状は軽いとは言っても立ち上がる事が出来ない。
先輩たちの症状はかなり重かった。
 とにかく新鮮な空気を吸わなくてはと考え、四人は代わるがわる四つ這いになって階段を這い上がって行くが、高々20メートルの往復に40分以上もかかった。
後遺症で三人の顔はパンパンに腫れ上がり目が何処にあるか分からないほどになっている。
これ以上此処にいては危険だから脱出しようと進言するが、三人はほとんど身動きが出来ない状態だった。
 昨夜は食事もとっていなかったから、とにかく腹ごしらえをしなくてはいけないと考え重湯を作って強引に腹の中へ流し込んだ。
どんぶりに二杯ずつ無理やり流し込んでから、四つ這いでの脱出行が始まった。
 小屋の外に出たのは正解だった。
ほとんど一日近く身動きの取れなかった身体が少しずつ動くようになってきた。
駒ヶ岳の稜線から千畳敷カールへの下降は、あっちへヨロヨロ、こっちへヨロヨロ…更に滑り落ちながら目的地の千畳敷山荘に到着したのは、出発してから三日後の午後で、留守本部が捜索隊を出動させる直前だった。
あの時…おいらの症状がもう少し後に現れていたら…ひょっとして四人はこの世に居なかったかもしれない。
1963年2月、駒ケ岳ロープウェイ建設直前の雪崩調査のために入山した時の事だった。

あの時の爆発は凄かった。1965年秋、駒ヶ岳ロープウェイ完成二年前の事だ。
全長2600メートル余、高低差950メートルの索道を支えるための鉄塔基礎工事が各所で始まっていた。
 その頃おいらは稜線の山荘に勤務していた。
夏山シーズンが終わって一段落した事もあって、そろそろ山を下りようかとしているところへ、工事の人足が足りないから応援に来てくれって頼まれた。
 仕事は鉄塔を建てるための土方仕事で、日当は千五百円。
おいらの山荘勤務日当は五千円だったから、三分の一の金額だったが、土方仕事なんてした事が無かったから面白半分で引き受けたのだけれど…土方仕事はきつかった。あんなにきつい仕事とは知らなかった。
 山荘の二階が登山者用で、三階が土方人夫の宿舎なっていた。
おいらには特別に山荘管理人の部屋を用意してくれたが、飯場暮らしを味わって見たくて土方人夫と共同生活が始まったけど、実に良い体験だった。
 朝6時30分仕事開始…10時に10分休憩…昼休みは30分…午後3時に10分の休憩で、後は午後6時までブッ通しの仕事だった。
仕事の内容はいたって簡単だった。
 発破士がダイナマイトをセットして…ドカ〜ン!
散乱した岩石を谷底へ落とす…周りが片付くと再び、ドカ〜ン!
一輪車で運ぶのはいいのだけれど…それからが大変だった。
なにしろ深い谷底めがけて落とさなきゃならないから、タイミングが掴めなくて…下手をすると一輪車ごと谷底へ落ちちゃうから、もう恐ろしくておそろしくて。
 6人で仕事をしているのだけれど、みんな韓国人ばかりで…日本人はおいらだけだった。
会話は韓国語だからおいらにはさっぱり分からない。
作業用手袋は一日で4足が駄目になった。
 飯場に帰ると飯が旨かった。仕事が飯を食うって言うけど…本当にそうだね。
一回に食べる弁当の飯は5合だから半端じゃない。
飯盒にギュウギュウ詰めに押し込むから、特大のフォークでないと飯がとれなかった。
 夕飯を食べ終わると、おいらはサッサと寝床の中へ…
暫くすると、物凄く騒々しくなった…只事ではない!
布団の中から外を覗くと…ギャァ〜!
おいらのすぐそばの床に短刀が刺さっている!
 韓国語だから何をしゃべっているのかさっぱり分からないけれど、とにかく物凄い剣幕で怒鳴りあっている。
おいらは布団を被ってその場から逃げだした。
 で…翌朝、仕事にかかると昨夜の事など何も無かったように黙々と作業をこなし…夜になると、又…短刀を振りかざしているのだ。
 どうも彼らには喧嘩の時間帯があって、定時になると喧嘩の続編を再開しているようなのさ、参ったね。
そんな雰囲気にも次第に慣れて、おいらも土方人になっていった。
 そんなある日の事…
おいら達の現場に下の現場の作業員が、ダイナマイトが不足しているから貸してくれと言って45Kgを持って行った。
 暫くすると…下の現場からダイナマイトに点火する合図のサイレンが谷間に響き渡った。
おいら達の現場までの距離は100m以上あるからそんなに心配はしていなかっけれど…爆発が始まってから暫くの間止まらなかった。
ちょっと変だぞ!…コリャ異常な爆発だ!
おいら達の現場まで、でかい岩石がビュンビュン唸って飛んでくる。
 モウモウと立ち込める土煙が取れると…ダケカンバや這松に覆われていた急斜面は、一変して見事な一枚岩の岩稜が現れた。
 暫くすると…朝、ダイナマイトを借りに来た作業員が、顔面蒼白でおいら達の所へ駈け込んで来て事の経緯を話してくれた。
 その日は何時もより多めのダイナマイトを使うから、念のために遠い所へ避難していたが…道具も45Kgのダイナマイトも何時もの避難場所に置いたままだったと言う。
しかし結果は…45Kgの大量のダイナマイトと共に大爆発を起こし、工期を一カ月以上も短縮する事が出来たが、あわや大惨事になるところだった。
その現場は現在ロープウェイの車内放送で「正面をご覧ください、当ロープウェイで最も急な所で、ロープの斜度が60度から70度もあるのでございます」と言われている、あの鉄塔の基礎工事の話なのだけれど…そんな事があったなんて、今の従業員たちは誰も知らない話なのさ。
 
おいら達が苦労してようやく出来上がった鉄塔の、あの思い出深い場所で事故が起こった。あの時の冬は、異常に雪が降った年だった。
連日の降雪で、ロープウェイのゴンドラが雪面に引っかかって運行もままならなかった。
 当然のように運休となり、ゴンドラが通過できるように鉄塔周辺の除雪作業に四名の従業員が向かった。
その中においらの山仲間のH君がいた。
 こんな事を言うと失礼なのだが…ノホホンとした彼の行動はワンテンポ遅れているから、じれったさを何時も感じていた。
 鉄塔脇にゴンドラを停車して、一人、二人、三人と続けさまに雪面に飛び降りた。最後に降りようとしたH君は置き忘れた帽子を取りに戻り、何時ものようにワンテンポ遅れて飛び降りようとした時、急に目眩を感じ、周りの景色が動き回って立っていられなかった。
 グルグル回る景色の中に、三人の同僚の姿が見え隠れしていた。
先の三人が飛び降りたショックで雪崩が発生した瞬間だった。
その底雪崩はとてつもなく大きな規模で、谷の側壁を数十メートルも削り取りながら2千メートルも雪崩落ちていた。
 雪崩落ちた地点と同じ標高の別の谷筋でも、同時に雪崩が発生し事を考えると、この三人が誘発したショックが周辺の谷筋にも影響したようだ。
百数十年以上も経た巨木が一面に薙ぎ倒されているという事は、その樹木の誕生以来の出来事だったと推測される。
 捜索活動は困難を極め、三人の遺体が収容されたのは半年後だった。
事故発生現場には三体の仏像が安置され、登山者の安全を見守っている。
九死に一生を得たH君…帽子を忘れたために助かったのか、はたまたスローテンポ故に助かったのか。
 犠牲者となった三人の冥福を祈りながらも、H君の無事を複雑な思いで喜んだ1974年2月の出来事だった。

 今日は、石ガマの煙突の先端に調味した豚のバラ肉を置いて燻製作りだ。
火加減と煙加減を調整して出来上がった豚バラ肉の燻製は…クッフッフッフッ…ウミャ〜!
岩塩を降り掛けて齧ると…ウミャ〜!
更にブラックペッパーを降り掛けて齧ると…ウミャ〜!
芋焼酎が喉の奥でグビリッ…ウミャ〜!
あれっ?おいらは何時の間にか名古屋弁になっているでネャ〜カ!

 あの時はケショウヤナギの花が風に舞っていた。

♪ ほ〜ら ごらん〜 すこし遅れて咲く花を〜
 い〜とし〜く〜思〜ってくれ〜ま〜す〜か〜
     咲いて清らな白い花〜 
生〜きてゆ〜くのに 下手な二人がささやかな〜
     夢〜を〜重〜ね〜る ふたり〜は二輪草〜 ♪

1997年1月1日、演歌歌手、川中美幸がリリースしたシングルだ。
今、沢筋にはニリンソウが綺麗に咲いている。
このニリンソウを見るたびに思い出す事がある。
 おいらは川中美幸とは縁もゆかりも無い。
でも…川中美幸と縁もゆかりもあるS氏とおいらは縁もゆかりもある。
S氏は川中美幸が所属するTレコード会社のチーフディレクターで、鬼のSと言われる怖いおじさんなのだが、おいらとは仲良しなのだ。
 ある時、S氏夫妻とドライブしていたら、初夏のそよ風に乗ってケショウヤナギの綿毛が大きくゆったり右に行ったり…左に来たり…くるくる回ったりして、まるで風と一緒に遊んでいるようだった。
あれは何?と聞かれたから、あれはケショウヤナギが風に舞っているのだよと説明すると…その文句いただき!と言って早速メモをとった。
 それから間もなく…「化粧柳」と言う曲が出来上がったと言って、発売前にSおじさんからおいらの元へテープが届いた。歌手は川中美幸だった。
でも…あの時の情景とは全く違った都会っぽい唄だったから、好くねぇ〜!もっと自然の味のする歌を作ってくれ!て、Sおじさんに言っちまった。
おいらが好くねぇ〜って言うくらいだから「化粧柳」はヒットしなかった。
 で…次の年の春。
Sおじさんにニリンソウの花を見せてやったらえらく感動してしまって…今度こそ好い歌を作って川中美幸に唄わせるって。
それから暫くしたらSおじさんから…今度こそヒット間違いなしだよってコメント付きで届いたテープは川中美幸が唄う「二輪草」という歌だった。
発売されるずっと前においらは、すっかりこの歌を覚えちゃって…
1月1日に発売された「二輪草」はその年に爆発的にヒットしたから、Sおじさんは大喜びで、ニリンソウの咲く頃に又おいらの所へ来て、奥さまと一緒に花の前でニッコリVサインの記念写真を撮って帰って行ったけど、あの時は二人がニリンソウのように好い笑顔だった。

 今日の夜は予約が無い。
天気も良いし暖かいし、桜吹雪だし…ヨシッ!久し振りに焼肉をしよう。
家の前に石ころで釜を作って…燃料は周りの枯れ枝を集めて…着火。
煙突を付けたから豪勢に燃えるよ。
 20分ほど焚き続けると真っ赤な火種が出来て…強火の遠火で焼く肉は適度に油が落ちて、表面がカリッ!涎が出てきちゃった。
中はフ〜ンワリ、ジューシー…うめぇなぁ!
考えてみたら…暫くの間肉なんて喰った事が無かった。
 ズ〜ッと山菜ばかり食べていたからベジタリアンになっていた。
今日はいっぱい肉を食べるぞ〜!
食べながらこんな事を言うのもなんだけど…草ばっかり食べていると、腹の調子がとっても好くて、ウンコの匂いも穏やかなのだ。
でも…明日はきっと…強烈な臭いの…まぁ好いか。

 コゴミ、コシアブラ、ヤマウド、ワラビを油で炒め、塩コショウで味を調え、火を止めてからギョウジャニンニクをまぶしてチャーハンの出来上がり。
鼻先でギョウジャニンニクの香りがプ〜ン…噛みしめるとそれぞれの味と香りが口の中いっぱいに広がって…

 そして次の日は山菜ちらし寿しを作った。
最初にすし酢をつくろう。いたむものではないから多めに作り置きをして…
米酢…360g 砂糖…250g 塩…40g…撹拌して瓶詰めに…
ヤマウドは生のまま薄くスライス…2cmくらいに刻んだセリも生のまま…茹でて冷やしたコシアブラ、ワラビ、コゴミを一緒にすし酢をまぶして準備した。
熱々のご飯にすし酢をまぶしてシャリ切りして…具材を軽く混ぜ合わせて、最後に季節の花などを飾って出来上がり。ウ〜ン春の味だ。

 そして又次の日…陽気も好くなってきたから冷やし中華を食べたいな。
具材はあり合わせの山菜で間に合わせた。
ヤマウド、コシアブラ、セリの良い香りが鼻に抜けていく。
ツリガネニンジンの濃厚な味わい、新鮮なワラビ、コゴミとタケノコのシャキシャキ感が素晴らしい。これぞ正しく地球の大地を丸かじりだ。
思わず目を閉じてしまう。

 呑み友が鹿のフィレ肉を手土産に呑みに来た。
よし!今日はギョウジャニンニクがあるからステーキにしよう。
昨年、フレンチの大御所Nシェフから教わった肉の焼き方でいってみよう。
まず…肉の片面だけオイルを塗り、油をひかずに熱したフライパンに乗せる。
Nシェフは、肉は絶対に動かしてはいけないと言っていたな。
フライ返しで軽く押さえて均一に加熱して…肉の表面に水が浮いてきたら同じ場所に裏返す…だったな。好よし!
呑み友は生が苦手と言っていたからミディアムに…
好し!最高の焼き上がりだ。
火を止める直前に特製ソースをかけるとジュワ〜ン!
すかざず、荒く刻んだギョウジャニンニクをたっぷりと載せて火を切った。
好い香りだ!柔らかくてジューシーな鹿フィレ肉の肉汁とギョウジャニンニクに軽く熱の入った甘みがソースと渾然一体となって旨、ウマ、うまっ。
馬じゃない…鹿肉が旨い!嗚呼…シ…ア…ワ…セ。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
驚いた 驚いた 驚いた
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
あぶちゃん日記増刊号 U あぶちゃん日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる